月別アーカイブ: 2014年9月

会議

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2014年4月 星ヶ丘の花

星ヶ丘学園の会議に参加。ここ数年、学園の評議員というのをしている。学園のこれからのこと話し合われているのだけれど、僕は就職とかまともにしたことないからか、組織の運営とかがよくわからない。いろんな数字や、横文字が飛び交ったりするけれど、世間知らずの僕には半分くらい外国語に聞こえたりする。会議に参加する方達は、サラリーマンを経験されたり、組織を運営するのに長けている人や、何か事業を成功した方たちで、話しを聞いていて、本当にすごいなと思う。数字から、いろんなことをイメージしたり、指摘したりしている。僕は、まさしく、行き当たりばったりの人生しかやってこなかったので、予算とか全く考えられないし、どんぶり勘定しかできない。だから、意見を求められても、ちんぷんかんぷなことを言っている気がする。無能とはこのことだなと、毎回思って苦痛なのだけど、なぜか毎回参加している。自分でも、何も役に立っていないとわかっているのに、なぜか行っている。なんでなんだろかと思う、この性格。

ジャムジャムジャムでも唯一サラリーマンである、ノブさんがいつも予算のこととかを、きっちりエクセルで作ってきてくれる。それがあるから、何かとスムーズに進んでいけるはず。日本のサラリーマンってすごいなとノブさんのエクセル表を見ていつも思う。

学園もいろいろ変化の年。周りの人でも変化のある人いる。それぞれ、その熱が感じられる。羨ましい熱。

御嶽山には三回登っている。自分が山歩きが好きになったきっかけの山でもある。火山とは知っていたけれど、登っている時はまさか噴火するだなんて、微塵も思っていなかったから、行ったことあるだけに、テレビの中の灰色の世界が本当に嘘のような気がする。自分は、あの山での記憶が良い思い出ばかりで、仲間と笑って過ごした記憶ばかりだけに、犠牲になれた方の名前がニュースに出る度に、いろんな思いを重ねてしまう。

朗読の休日

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猫。3月くらいに横須賀にて。

昨日は、大阪玉造のバイエルで行われた「朗読の休日」へ。ななつきぐも、西尾勝彦、畑尾和美、小鳩ケンタの関西で、詩の朗読を様々な場所でしている詩人4組が行った朗読会です。個々の活動は、頻繁にしているけれど、一緒にやるのは珍しいです。詩を読む傍らでは、イラストレーターのイケダユーコさんが、詩を聞いて、即興で絵を描いていました。

自分はすぐに永井さんの話になってしまうのですが、永井さんがいたらなって思う場面でもあり、永井さんがいたらできなかったかもという思いもある。でも、永井さんがやってきたことの先にこれがあることは確実な気がする。10数年前のシャムアでのポエトリーリーディング、そこからソーイングギャラリーができて、永井さんは詩の朗読をギャラリーでもするようになって、ギャラリーのスタッフの梅田君がバイエルを作って、そこでも永井さんは詩の朗読をしていた。詩の朗読なんて、そんなに多くの人が聞きに来ていたわけではないけれど、永井さんはひつこく、毎月のように詩を読んでいた。
そして僕と梅田君とイトヘンの角谷さんと当時ミリバールの永田さんで「おんさ」展をはじめる。おんさ展の根源にあるのは、ソーイングギャラリーの精神でもある、永井さんがずっと言ってた「モノは誰でも作ることができるし、文章は誰でも書ける」ということで、そこに「言葉」のジャンルも作って、言葉を表現する人が集まって、そんなおんさで、西尾さんや、ななつきぐもや、小鳩さんと出会って、昨日がある。

昨日は聞きながら、そんなことを考えて、傍らで描いているイケダユーコさんや、奥でカレーを振る舞っていた、UMLAUTの二人、そして来ていたお客さんの顔を眺めると、「形になるっていうのは、こういうことかね、永井さん」と思っていた。JAMJAMJAM音楽祭でも思ったけれど、何だかこんな素晴らしい人たちに囲まれてて、もう何もいりませんよって感じなんです。

そして、こんなイベントを企画していたのは、直接永井さんと一緒に過ごしていた僕らではなくて、小鳩ケンタさんで、それがまた何とも言えず素晴らしいなと思った。
関西でも、こんな形で自然に詩の朗読ができて、そしてこんなにいろんな人が聞きに来てくれるというのが、シャムアから、ここバイエルへの10数年の蓄積というのは、すごいもんだなと思う。

個人的にはイケダさんの描いている手元を、はじめてみたのも結構感動的で、こんなにも、さっさと絵が描けるもんなんだなぁと関心して、少し尊敬。インプットとアウトプットが、同時みたいな感じ。いつも馬鹿にしたり、絵に駄目だしばかりしているけど、やっぱりアーティストってすごいですね。高野裕子さんとかも、日頃会話しているのとダンスしているのと全然違うし、そういうギャップってうらやましい。

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さて、やっとJAMJAMJAMの写真をアップしました。もう何ヶ月前のような気がしますが、つい最近だったのですよね。

今年のJAMJAMJAMでアマジョンズは解散しまして、あの伝説のバンドがまた動き出します!
誰かいらないバンジョーあったら、ご一報ください。

9月は大変。

智慧とは、特別に「何かがある」ことではありません。じつは「何もない」ことなのです。 心の中に、ある価値観や尺度をもっていると、それに当てはまるものしかみえません。何か知識にしがみついていると、それで頭がいっぱいで、他のものが入らなくなってしまいます。頭の中に何もない場合は、そのときそのとき、何でも入ってしまい、理解がはやいのです。さらに、得たものに執着しないで持ち運ばないのが、智慧のある人なのです。

ある住職が書いてた言葉。この前書いた日記の解答みたいなのをたまたま見つけたので、勝手に載せる。
恵雄の名前の意味がよくわかるな。自然と身につけてたな。怖いな名前って。空っぽで忘れっぽいってことだけど。それでいいみたいよ!

永井さんが、ソーイングギャラリーの代表に僕を選んだ理由は、「暇そうだったから」と、「草原に中島君が立ってるイメージがあったんだよ」と「欲がないから」だったんだけども、(永井さんに聞くたびに違う解答だったので、この3種類がある。本当のところは知らない。)、その時は「欲がない」の意味がわからなかったけれど、あれからいろんな人と付き合うと、「欲のない」という意味がうっすらわかってきて、なるほどなと後々納得したり。そんなに永井さんと話をしていた時期でもなかったのに、何でそんな風に思ったのだろうか、永井さんは。人を見る力がやはりすごいのかな。

そういえば、昔星ヶ丘の園長先生に、しばらくひつこく「中島くんはスケベや」と言われ続けてて、その意味は「助平」らしいのですが、平等に助けるということらしいのです。これが本当の意味なのかは知りません。まぁ、それを園長がずっと言ってくるから、意味がわからんなと聞き流してたんですが、先日ふとラーメンを食べてるときに、なるほどなと一人納得してしまった。ラーメンの麺を食べた後のスープには大概はネギが浮いてたり、底に沈んでたりするわけですが、元々一本のネギだったのが切られると、麺と一緒に食べられるやつと、最後にスープに残るやつと分かれます。元々同じネギだったのに、それはおかしいんじゃないか! って思って、だいたい麺を食べ終わった後に、必死に残ったネギを救出するのですが、やっぱりそんなことを考えるのが助平の素質があるんでしょうね。同じ理由で、食べ残しができないことが多々あります。園長も見抜いてたんかな。

さて、9月はジャムジャムジャムや永井さんの展示があって、ここの写真とか載せたいのですが、また落ち着いてからします。9月はバタバタです。

3年前から、お彼岸とお盆だけ、実家の寺の手伝いをしているので、お彼岸は実家へ。ジャムジャムジャムでは、Perfumeを熱唱したのに、一週間後にはお経を読んでいるというわけのわからん人生を歩んでおります。手伝いはいろんな家々に行くので、人生の先輩方の前で何を話していいのか、いつも悩む。大概天気の話をしている自分がつまらない。まだ、3年だけど、春と秋のお彼岸で同じ家に行くから、行くたび変化がある。元気だった方が、病気になったり、亡くなって写真の中にしかいなかったり。正直、それはギョッとする。逆にお孫さんが少し大きくなったり。時間は確実に進んでいるのを目の当たりにする仕事。お医者さんなども大変だと思うが、僧侶は元気な時から付き合いがあるから、それもまた大変なんだとわかる。それに病気を治すことはできない。3年やってみて、それがわかって、より丁寧に一軒を巡るようにする。本当は天気の話以外もできたらいいのだけども。次の春も元気な顔で会えたらいいなと思うけれど、それはわからん。誰もわからん。「私はいつ死んでもいいの!」って、満面の笑みで話してくれたおばあちゃんがいて、一緒に笑うしかなかったけど、その顔がとても清々しく気持ち良くて、やはり人生の先輩方はすごいなと頭が上がらなかった。娘さんと旦那さんをなくされている方。つよすぎるよ、、、。

9月は何だか休みもなく、あっという間に終わりそう。山にも登っていない。行きたいなぁ。トランスフォーマー観たいと思って調べたら、まだやってた。また一人で観に行こうかな。一ヶ月前くらい、電車かどこかでカップルがいて、男性が「トランスフォーマー観てぇ」って言ったら、彼女が「私も観たいねん」って言ってて、「マジか、トランスフォーマーみたい女子とかいるんかよ」って心の中で驚愕してたんですが、次の瞬間、そんな彼女いいなぁってうっとりしてしまいましたよ。周りにトランスフォーマーみたいとか、そんな人、男ですらおらんですよ。

永井宏展

IMG_1086明日から、永井宏さんの展示が大阪星ヶ丘のソーイングギャラリーとソーイングテーブルで開催します。昨日は、その作品の設置の日です。思えば、永井さんの展示は2002年のソーインギャラリーのオープン以来、毎年ずっとやっています。たぶん毎回作品の設置を手伝っているので、もう12年。
永井さんがいた時は、「こんな感じに、一列に壁に並べてよ」っていう指示を受けて、僕らスタッフがせっせと永井さんと一緒に作品を並べていました。きっちり真っすぐ並べる展示が永井さんは好きだったので、凧糸を壁に水平に貼って、それに合わせて作品を展示していくわけですが、ぴったり真っすぐに合わすのは結構時間がかかるので、ちまちまやっていると「もう適当でいいよ。早くご飯食べ行こうよ」ってことになります。永井さんは、すぐ飽きちゃいます。
そんな事を思い出しながら、昨日は作品を並べていました。そして、何だか永井さんがいないという状況にも僕も慣れてしまったなと、しみじみ思いました。父もそうだけれども、亡くしてすぐの時は、いないのが不思議で仕方ないけれど、今は「いない」ことが当たり前になってきていて、でも「いない」ということの方が存在感も影響力もなぜか大きく感じる今日この頃です。

そういえば、今回作品と一緒に永井さんのメモやノートみたいなものも送られてきていて、それは作品を作るためのメモとかなのですが、チラッと見せてもらったやつが、衝撃的でビックリしました。こんなん死んでから、人に見せられたら「僕は一生死にたくないよ」と思ってしまった一枚でしたが、まぁそれは非公開になるそうです。でも、よくよく考えたら、やっぱ永井さんってすげぇなって思わせてくれるような一枚でした。「あれぐらいしないとダメだよ〜」って聞こえてきました。作品づくりは体当たりです。

永井宏展「マーガレットマーガレットマーガレット」
2014.9.3(Wed.)-9.14(Sun.)
12:00-18:00 最終日 17時まで 月・火休廊
at SEWING GALLERY/SEWING TABLE COFFEE
http://sewing-g.com/sg/

http://tamazkue.sakura.ne.jp/pg1.html

さて、今日はもう少し書きます。長く書くぞと思って日記を書き始めたので、長くなります。

ブックロアから八月の水3号が出ました。(あっ宣伝かこれは)
八月の水は楽しみにしてくださる方が、沢山いらっしゃるので嬉しいです。僕も少し書かせてもらっていますが、毎回「山」の話を書いております。本格的に山に登っているわけではないのですが、何となく一番最初に書いたのが山歩きの話だったから、結局3号続けて山の話です。でも、もう最近登ってないし、ネタがつきました。今年は来年の八月の水のために、もう少し山に登らないといけないなと思っています。こっそり行こうかしらと思っている今日この頃です。
この旅人と詩人の雑誌「八月の水」ですが、僕は発行人として関わっているだけでして、本の中身に関しては西尾勝彦さんが纏めてくれています。昨日、ソーイングテーブルの恵美さんと話しをしていて、「あぁそうか、僕が作っていると思っているんだ、みんな」と気が付いたので、一応書いておきます。発行人は特に何もしてませ〜ん。販売の手伝いをしているとう関わりです。なので、毎回この本が出来るのは、僕もワクワクしています。今回も良い本になっています。雲の生まれるところでご紹介するのは、もう少ししてからですが、少しずつ出荷していっています。

しかし、本作りというのは本当に面白いなと思う。いや、思うようになってきた。自分のペースでしかできないことだけれども、やっと7年経ってBOOKLOREも良い状態になってきている気がしています。この調子、この調子っていう感じです。今のリトルプレスブーム(もう終わった?)に全く、波乗りできないので、お金の面では全然ダメですが、そもそもいろいろ馴染めないからいいんです。もう昔から、いろいろなところに、うまく馴染めない。お金のことはこんな本を作っている限り、いつまでもこうなんだろうけど、そこを考えずに作ってしまうことが出来るというのは、今の時代に最高なことなんだと思う。後で痛い目見るかもしれないが、まあ後悔はしない、きっと。後悔があるならば、もうすでにしていないはず。永井さんに10数年前に声をかけられたことを、まだ後悔してないし、だからきっと大丈夫なはずと思っている。
出版社をしてますって人に言うと、ポカーンとされる。こんな兄ちゃんが出版社って意味わからないよね。僕も意味わからないです。出版社に勤めたことなど、本屋で働いたことなど、編集プロダクションとか、全く関わったことないやつが、Tシャツとジーパン着て、無精髭生やして、出版社してますって言われてもね。「本って売れなくなってきてるから大変でしょう」と言われることありますが、本が売れる時代を知らないので何ら辛くはないですし。ブックロアが出している本を買ってくれる方がいるのは、本当に奇跡だと思ってます。
在庫がどんどん増えていく。雲の生まれるところのモノもあるから、仕方ないのだけれども。でも、そんなに在庫があるのを気にしていない。ごちゃごちゃした家が結構落ちつくらしい。普通、こういうのって、倉庫と契約して、出荷作業とか全部やってもらうみたいなのですが、そんな余裕あるわけない!

地元に帰ろうと思っている。いろいろ考えてのことだけれど、しかし、これはずっと言っている。永井さんが生きていた時にもこっそり永井さんに話しをしたことがあったくらいだから、もう4年くらい言っている。でも最近少しずつ周りの人にも言うようになってきた。しかし、なかなか動かないので、この前、星ヶ丘の園長に「長過ぎる」と言われた。何だかんだで、あいつはずっと関西にいるだろうとみんな思っているだろうけれど、僕もそんな気がしてならないから少し怖い。関西弁の方が、耳はもう慣れていて、たまに関東に帰ると、関東弁が耳につく。人には、すぐ行動しろとか偉そうに言うこともあるけれど、駄目ですね。でも、少しだけ最近は空想の翼を広げています。ちゃんと考えはあるんだよ!

最近、また何か展示などしてみたいなと思うことがある。前に個展をしたのはいつの頃か思い出せないくらい。たまにイメージが頭の中にパッと出てくることがあって、形にしたいなと思うことがある。でも、どうしたらいいのかさっぱりわからないのだけれども。いやというか、そこまでやる気がないのでしょう。やりたかったら、やりますから。人が展示をしていたりするのを見て、いいなと思う。ただ、羨ましいだけなのかもしれない。それとは別だけれども、最近は唄を作っている。思いっきりJ-POPみたいな曲ばかりだけれども、それでも自分でギター一本で作れるっていうのが面白い。ただ詩を書こうと思うけれど、言葉はなかなか難しい。自分で考えたコード進行を録音して、それをヘッドフォンで聞きながら、夜に外を歩いている。適当なメロディーをつけて、歌詞にならない歌詞を口づさんで歩いているので、怪しいと思われているはず。唄の作り方など、マニュアルはないだろうし、誰にも教わってないから、こうやってやり方を探っている感じ。こういう時間は好き。本当は5曲くらい今年は作るぞと意気込んでいたけれど、たぶん2曲が精一杯かもしれない。今年も年末にライブがある。年に一度、中島が大きな声を出す日。

この1週間、裕子に会わない日がほとんどない。昨日は中西裕子にあって、おとといは中西裕子と高野裕子と池田裕子とビンゴだった。その前の日はどの裕子にも会ってないなぁと思ったけれど、茂呂裕子さんに星ヶ丘で会っていた。明日は高野裕子に会う。今日はどの裕子にも会わない、裕子の定休日。僕の裕子事情。

オンラインストアやウェブの仕事をしていると、夫婦で2人ともがPCやらタブレットとにらめっこする時間が多すぎるので、インターネットを制限しようと思って、無印良品でコンセントタイマーを買って、wifiの送信機につけた。朝9時から夜の9時までにセットしているので、その時間しか我が家ではインターネットができない。2人ともスマホを使っていないからできる技。でも、結構良いと思う。寝る時間も早くなった。制限ある方が何かといいみたい。

この前、佐藤貢さんのトークショーを観に行った。最近出版した佐藤さんの旅行記の本(これめちゃくちゃ面白いです)の中でも書いていたけど、「貢」っていう自分の名前の意味をすごく考えているそう。僕も「恵雄」っていう字についてはよく考えている。兄が「智雄」だから、2人合わせて「智慧」という意味だと思っているのだけど、真相はよく知らない。でも2人揃わないと知恵にならないってことだから、一人じゃ何もできないのだろうなという感じが僕にはいつもある。三男だし、いつも兄達の後を追っている気がする。一番目の兄はいつも最新の情報に敏感だったし、二番目は人を笑わしたり、ゲームが得意だった。特技のない三男は羨ましかった。今でもそう。一番目の兄が持っているものは欲しくなったりするし、二番目の場を和ます人柄は羨ましい。僕には妹もいるけれど、僕はあまり兄らしくないし、いつまでも末っ子気質だろう。たぶん、こいつ大丈夫かと兄妹から思われているはず。
知恵って言葉は結構好き。でも似たような言葉で、知識っていう言葉はずっと苦手なんだが、覚えが悪いからかな。知識はなくても知恵があったら、どうにかなるなと子どものころからずっと思っている。
「恵雄は恵まれた雄(オス)と書きます。雄に恵まれていると逆に読んだらえらいことになります」と、昔中学校の講師をしていた時に自己紹介でよく生徒に言ったことがあるけど、スベるよね確実に。生徒はポカーンとしてました。でも、僕は本当に恵まれている。こんなに恵まれていていいのだろうかと思う。誰かからもらった恩はその人に返すのではなく、違う誰かに返す。いろんな人がそんな事を言っていたけど、いつもそうしようとしているけど、出来てるかは知らん。

ファンが欲しい。西尾さんとか小鳩さんとか、ファンがいて、いいなと思う。黄色い声援というのを聞いてみたい。この2人の詩人はいつも人気ものである。あぁ、永井さんよ、死ぬのが少し早かったよ。何だか、ここ最近関西では詩の朗読とか、すごく自然な形でやっています。そして、人もたくさん来て、聴いてくれています。永井さんがいたら、喜ぶだろうなって思うことが、最近沢山あります。でもこうやって朗読などやり易い環境を作ってくれたのは、永井さんだと僕は思っています。やっぱり、永井さんはいつも道なきところに、先にいって道を作ってくれる人なんでしょうか。しかし、僕は相変わらず、『僕もいつか「私、中島さんのファンなんです!」って言われて、はにかんでみたい』とか、そんなことばかり考えています。

最近、人に頼られることがある。人生において、こんなに人に頼られることってない。いつからそうなったのかよくわからない。非常に居心地が悪いのだけれども、なんでそうなったのかよくわからない。自分が変わったというよりは、そういう役目がまわってきただけなんだろうなと思っている。35歳あたりってそうなんでしょうか? 先輩方。

そういえば、夏休みの思い出が一個もないので、先日高校野球を観に行って来た。大阪にいる間に一度は行こうと思っているが、なかなか行けなかったので、思い立って行ってみた。ちなみに、大阪にいる間に見てみたいと思っているところは、他に「新喜劇」と「文楽」。
高校野球は2回戦だか3回戦だか、どこが対戦するとかも知らずに行ったけれど、かなり楽しかった。午前中の一試合だけを観に行こうと思っていたけれど、結局全部見てしまった。試合が終わる度に、なぜか涙が出そうになった。テレビでいつも見ていると、リプレイでスローモーションでプレイを流してくれるけれど、生はそれがなくて、一球一球を見逃さないように集中して観る。そして、その一球一球を投げたり、さばいたり、打ったりしている彼らが、どんだけの練習をつんできたかを思うと、泣ける。どっちが負けても勝ってもどうでも良い。あんなのがタダで見られるなんて、いいね。

絵の練習。
pen

母にもらったペリカンのボールペンを、インクで描いてみた。本当はゲルインキのボールペンとか、いろいろなやつで描いてみたけど、これが一番好き。結局、一番最初に描いたものがいいなってことになる。
このボールペンは父がペリカンの万年筆が好きだったからと、母もペリカンのボールペンを買ったけれど、手に馴染まなかったので我が家に来たやつ。毎日のように使っている。しかし、最近字が消えるボールペンとかゲルインクのボールペンとか、めちゃくちゃ使いやすい文具がいっぱいあって、本当のところそちらの方が使いやすかったりするのだけど。物語があるモノは、物語を続けたいから使う。
しかし、絵を描くのは面白い。雲の生まれるところでずっと描いてて、全く上手くならないのだけど、いや上手くなろうとしていないのだと思うが……。でも、もうちょっといろいろ描けるようになったらいいなと思っている。

 

今日は、ここ最近日記に書こうかなと思っていたことを、思い出して、何の脈略もなく、ただ文章にしたかっただけの日記でした。読み返してないので、ぐちゃぐちゃですみません。途中から人格変わったようになってますが……。ストレスの発散のようになってしまった。本当はもうちょっと書きたい。でも「おまえ、長いねん!」とあの方や、あの方が言うだろうし、やめておこう。